こんばんわ、とらのすけです。
以前の記事の、あの不朽の名作武術漫画 「拳児」の続編「拳児2」が公開!!の最後に書いたように、セイバーキャッツを読み返してみたので感想をまとめます。
山本貴嗣原作の未来SF中国拳法漫画。
人類が、宇宙の星々に移り住み広がっていった、遥か未来を舞台に、もはやはるか遠い昔に、過去の遺産となった武術をめぐりストーリが展開されます。
第一巻のあらすじはこんな感じです。
通背拳(ツウハイケン)の使い手である主人公の宿祢光(スクネヒカル)は、師匠の言いつけにより、女賞金稼ぎの当麻智華(トウマチカ)の身辺を警護することになる。
その理由は、遠い昔に死にんだと聞かされていた父親の陳尚武が実は生きており、(作中では)幻の中国拳法である八卦掌(ハッケショウ)を伝える老子を発見し弟子入りの予定であったが、その八卦掌の真伝を自分も得ようとする、雷仁飛の手から守ることことにあった。
実は、この雷仁飛が宿祢の父親の仇で、宿祢が本格的に武術の修行を始める動機になっていたり、同門の兄弟弟子であり、友人でもある雷鳳岩が父親の仇の雷仁飛の弟だったりと、人間模様が複雑になりながら物語が進んでいきます。
中国拳法を題材にした漫画はとかくトンデモ系の気や、誇張された発勁・寸勁・浸透頸を使うバトル漫画になりがちだが、このセイバーキャッツは、中国拳法を中心にした武術を真面目に取り扱った稀有な漫画です。ただ、その分地味というかマニアックというか、自分自身が、なにがしかの武術をやっていない人にはあまり響かないだろうな~、と思うような内容です。
また、漫画としての面白みはさておき、作中ではとかく、伝統武術=高度な心身運用をしすぐれているもの、近代武道=パワーと筋力に頼った劣っているもの というスタンスで語られていることも、少々気になります。
確かに伝統武術の高度な心身操作の方法論は、時に筋力に頼った近代武道を凌駕することもありますが、こと強さという点は、流儀の奥深さや高度な技術体系よりも、どちらかというと個人の資質によるところが大きいと思いますし。どちらかが完全に正解でどちらかが完全に間違っているという2元論で世界を区切るのは、単純でわかりやすい半面、排他的で独善的な世界観を形成してしまうのではないかと思います。
とまあ、批判的な意見も述べましたが、武術を真面目に描こうとした漫画であることには間違いはなく、評価は非常に高いです。
とらのすけがこの漫画を知った当時は、大学で合気道部に所属し、古武術にも傾倒していたこともあり、作中に出てくる古武術家の怒麻重四郎(ぬま じゅうしろう)が好きでした。
怒麻氏の立ち回りの描写も好きでしたが、物語の後半、自身の方向性に迷う宿祢に
「キミはどんな幸せをとるね?」
と問いかける怒麻氏に対し
「その日、その時、その場所で心は形を変えようと、けして魂は嘘をつかない」
と答える宿祢とのやり取りは、この漫画の中でも屈指の名シーンだと思います。
あっ、あと軍用小銃の殺傷能力が低く設計されている理由はこの漫画の説明で初めて知りました。知らない人は、読んでみるといいと思います。
あんまり、まとまらない感想でしたが、セイバーキャッツを読み返した感想はこの辺で終わりにします。
以前の記事の、あの不朽の名作武術漫画 「拳児」の続編「拳児2」が公開!!の最後に書いたように、セイバーキャッツを読み返してみたので感想をまとめます。
セイバーキャッツとは
山本貴嗣原作の未来SF中国拳法漫画。人類が、宇宙の星々に移り住み広がっていった、遥か未来を舞台に、もはやはるか遠い昔に、過去の遺産となった武術をめぐりストーリが展開されます。
第一巻のあらすじはこんな感じです。
通背拳(ツウハイケン)の使い手である主人公の宿祢光(スクネヒカル)は、師匠の言いつけにより、女賞金稼ぎの当麻智華(トウマチカ)の身辺を警護することになる。
その理由は、遠い昔に死にんだと聞かされていた父親の陳尚武が実は生きており、(作中では)幻の中国拳法である八卦掌(ハッケショウ)を伝える老子を発見し弟子入りの予定であったが、その八卦掌の真伝を自分も得ようとする、雷仁飛の手から守ることことにあった。
実は、この雷仁飛が宿祢の父親の仇で、宿祢が本格的に武術の修行を始める動機になっていたり、同門の兄弟弟子であり、友人でもある雷鳳岩が父親の仇の雷仁飛の弟だったりと、人間模様が複雑になりながら物語が進んでいきます。
感想
中国拳法を題材にした漫画はとかくトンデモ系の気や、誇張された発勁・寸勁・浸透頸を使うバトル漫画になりがちだが、このセイバーキャッツは、中国拳法を中心にした武術を真面目に取り扱った稀有な漫画です。ただ、その分地味というかマニアックというか、自分自身が、なにがしかの武術をやっていない人にはあまり響かないだろうな~、と思うような内容です。また、漫画としての面白みはさておき、作中ではとかく、伝統武術=高度な心身運用をしすぐれているもの、近代武道=パワーと筋力に頼った劣っているもの というスタンスで語られていることも、少々気になります。
確かに伝統武術の高度な心身操作の方法論は、時に筋力に頼った近代武道を凌駕することもありますが、こと強さという点は、流儀の奥深さや高度な技術体系よりも、どちらかというと個人の資質によるところが大きいと思いますし。どちらかが完全に正解でどちらかが完全に間違っているという2元論で世界を区切るのは、単純でわかりやすい半面、排他的で独善的な世界観を形成してしまうのではないかと思います。
とまあ、批判的な意見も述べましたが、武術を真面目に描こうとした漫画であることには間違いはなく、評価は非常に高いです。
とらのすけがこの漫画を知った当時は、大学で合気道部に所属し、古武術にも傾倒していたこともあり、作中に出てくる古武術家の怒麻重四郎(ぬま じゅうしろう)が好きでした。
怒麻氏の立ち回りの描写も好きでしたが、物語の後半、自身の方向性に迷う宿祢に
「キミはどんな幸せをとるね?」
と問いかける怒麻氏に対し
「その日、その時、その場所で心は形を変えようと、けして魂は嘘をつかない」
と答える宿祢とのやり取りは、この漫画の中でも屈指の名シーンだと思います。
あっ、あと軍用小銃の殺傷能力が低く設計されている理由はこの漫画の説明で初めて知りました。知らない人は、読んでみるといいと思います。
あんまり、まとまらない感想でしたが、セイバーキャッツを読み返した感想はこの辺で終わりにします。
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