こんにちは、とらのすけです。
先日、さくらももこさんが亡くなってしまいましたね。
とらのすけは小学校高学年のころ
妹が購入していた少女漫画の『りぼん』を読んでいました。
当時『りぼん』に連載していた漫画とえば
柊あおい先生の『星の瞳のシルエット』
池野恋先生の『ときめきトゥナイト』
等の正統派の少女漫画や
ちょっと異色なところで
一条ゆかり先生の『有閑倶楽部』
なんかが連載されていた時代です。
そんな中、異彩を放っていた漫画が2つありました。
岡田あーみん先生の『お父さんは心配性』
さくらももこ先生の『ちびまるこちゃん』
まだ、まるちゃんが今のようにメジャーになる前
べたべたの少女漫画が全盛の『りぼん』でなぜ
この2本の連載が許されていたのか?は不思議でなりません。
当時はそんなことも考えておらず、この少女漫画らしからぬ
2本の漫画を、腹を抱えて笑いながら読んでいたことを
記憶しています。
ちなみに、連載当初のちびまるこちゃんは
今テレビで放映されているまるちゃんとは
比較にならないぐらい、シニカルでブラックな
笑いに溢れた漫画でした。
さて、今回の記事は『映画ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』
が地上波で放映され、子供と一緒に見ていた時に感じた
違和感について調べてみた記事です。
結論から言うと、完全にとらのすけの知識不足による
誤った違和感でした。
何事も、調べてみるというのが大切なんだと
痛感した次第です。
ストーリは、ちびまる子ちゃんの世界でのスネ夫こと
大金持ちの花輪君の家に、ペンフレンドの外国人の
小学生達が、日本にやってくるところから始まります。
なぜかこのペンフレンドの外国人たちは
花輪君の家ではなく、花輪君の小学校の
友達の家にホームステイをすることになります。
なんだかんだで、まるちゃんの家には
イタリアから来たアンドレアという男の子が
ホームステイすることになります。
で、その後映画のストーリーとしては
いろいろあるんですが、そこは割愛します。
とらのすけが違和感を感じたのは
まるちゃん達が、このアンドレアや他の
外国の子供たちを見送るシーンです。
この時、映画の中でまるちゃんたちが
見送りに行った空港が『羽田空港』でした。
映画を見ながら
「あれ、羽田が国際線化したのって最近じゃなかったっけ?
まるちゃんの時代だと、国際線は成田から見送りするんじゃ...?」
映画のストーリの後半は、まるちゃんたちが
飛行機の出発時間ギリギリまで上野付近で人探しをする。
という内容だったので。
「あー、後半のストーリの都合上、羽田で見送りってことにしたのかな?」
と思い、納得しかけましたが
気になったので調べてみました。
ちびまる子ちゃんは、筆者のさくらももこ先生の
子供時代をモデルに描かれているといわれています。
このため、まるちゃんの誕生日も作者と同じ
昭和40年という設定です。
まるちゃんは小学校3年生で、8歳~9歳なので
昭和49年が舞台になっていると思われます。
ちなみに、昭和49年といえばとらのすけが
生まれた年になります。
羽田空港の歴史はこちらにまとめられていました。
よくよく羽田空港の歴史を見てみると
成田空港ができたのが昭和53年で、それ以前は
羽田空港は国際空港として運営されていました。
成田空港ができると、ほぼすべての国際線は羽田から成田に
移転され、羽田は国内線をメインとし運用されてきました。
※中華航空など一部の航空会社は、羽田で運用されていたようです。
その後、滑走路の拡張による発着本数の増強に伴い
2010年ごろから、徐々に国際線の定期便が増強され
初めます。
という事で、映画の見送りシーンの年代は昭和49年ごろ
まだ成田空港の運用が開始する前で、羽田から多くの
国際線が運用されている時代です。
はい、という事で、とらのすけのが感じた違和感は
完全に間違っていました。
うーん、調べてみるものですね。
という事で、まるちゃんが
イタリア人のアンドレアを見送る空港は
羽田空港で正しかったです。
調べてみてスッキリしました。
ところで、記事を書いていたら、久しぶりに『岡田あーみん』先生の
変態的・奇想天外な漫画を読みたくなってきました。
それではまた。
先日、さくらももこさんが亡くなってしまいましたね。
とらのすけは小学校高学年のころ
妹が購入していた少女漫画の『りぼん』を読んでいました。
当時『りぼん』に連載していた漫画とえば
柊あおい先生の『星の瞳のシルエット』
池野恋先生の『ときめきトゥナイト』
等の正統派の少女漫画や
ちょっと異色なところで
一条ゆかり先生の『有閑倶楽部』
なんかが連載されていた時代です。
そんな中、異彩を放っていた漫画が2つありました。
岡田あーみん先生の『お父さんは心配性』
さくらももこ先生の『ちびまるこちゃん』
まだ、まるちゃんが今のようにメジャーになる前
べたべたの少女漫画が全盛の『りぼん』でなぜ
この2本の連載が許されていたのか?は不思議でなりません。
当時はそんなことも考えておらず、この少女漫画らしからぬ
2本の漫画を、腹を抱えて笑いながら読んでいたことを
記憶しています。
ちなみに、連載当初のちびまるこちゃんは
今テレビで放映されているまるちゃんとは
比較にならないぐらい、シニカルでブラックな
笑いに溢れた漫画でした。
さて、今回の記事は『映画ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』
が地上波で放映され、子供と一緒に見ていた時に感じた
違和感について調べてみた記事です。
結論から言うと、完全にとらのすけの知識不足による
誤った違和感でした。
何事も、調べてみるというのが大切なんだと
痛感した次第です。
映画ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年
ストーリは、ちびまる子ちゃんの世界でのスネ夫こと大金持ちの花輪君の家に、ペンフレンドの外国人の
小学生達が、日本にやってくるところから始まります。
なぜかこのペンフレンドの外国人たちは
花輪君の家ではなく、花輪君の小学校の
友達の家にホームステイをすることになります。
なんだかんだで、まるちゃんの家には
イタリアから来たアンドレアという男の子が
ホームステイすることになります。
で、その後映画のストーリーとしては
いろいろあるんですが、そこは割愛します。
とらのすけが違和感を感じたのは
まるちゃん達が、このアンドレアや他の
外国の子供たちを見送るシーンです。
この時、映画の中でまるちゃんたちが
見送りに行った空港が『羽田空港』でした。
映画を見ながら
「あれ、羽田が国際線化したのって最近じゃなかったっけ?
まるちゃんの時代だと、国際線は成田から見送りするんじゃ...?」
映画のストーリの後半は、まるちゃんたちが
飛行機の出発時間ギリギリまで上野付近で人探しをする。
という内容だったので。
「あー、後半のストーリの都合上、羽田で見送りってことにしたのかな?」
と思い、納得しかけましたが
気になったので調べてみました。
ちびまるちゃんの時代
ちびまる子ちゃんは、筆者のさくらももこ先生の子供時代をモデルに描かれているといわれています。
このため、まるちゃんの誕生日も作者と同じ
昭和40年という設定です。
まるちゃんは小学校3年生で、8歳~9歳なので
昭和49年が舞台になっていると思われます。
ちなみに、昭和49年といえばとらのすけが
生まれた年になります。
羽田空港の歴史
羽田空港の歴史はこちらにまとめられていました。よくよく羽田空港の歴史を見てみると
成田空港ができたのが昭和53年で、それ以前は
羽田空港は国際空港として運営されていました。
成田空港ができると、ほぼすべての国際線は羽田から成田に
移転され、羽田は国内線をメインとし運用されてきました。
※中華航空など一部の航空会社は、羽田で運用されていたようです。
その後、滑走路の拡張による発着本数の増強に伴い
2010年ごろから、徐々に国際線の定期便が増強され
初めます。
映画ちびまるこちゃんでの見送りシーンについて
という事で、映画の見送りシーンの年代は昭和49年ごろまだ成田空港の運用が開始する前で、羽田から多くの
国際線が運用されている時代です。
はい、という事で、とらのすけのが感じた違和感は
完全に間違っていました。
うーん、調べてみるものですね。
まとめ
という事で、まるちゃんがイタリア人のアンドレアを見送る空港は
羽田空港で正しかったです。
調べてみてスッキリしました。
ところで、記事を書いていたら、久しぶりに『岡田あーみん』先生の
変態的・奇想天外な漫画を読みたくなってきました。
それではまた。
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