こんばんわ、とらのすけです。
来月で8歳になる長男が、先天性真珠腫 術後検査2回目(3ヶ月後検診)をしてきました。
術後の経過は良好で、プールに入り始めてもいいとの許可が下りました。
ただ、聴力は反対の耳ほどは回復しておらず、多少高音域の聞こえが良くなったかな?程度とのことです。
耳の中に、真珠のようにできる腫瘍のことのようです。
先天性の場合は、胎児のころの分化の過程で耳の組織の中に皮膚片が入り込むことによって、真珠腫となるようです。
放っておくと耳の中で、どんどん成長して、聴力の低下、顔面神経や、脳にまで影響を及ぼす病気です。またその性質上、完治したかどうかの判断がとても難しいようで、定期的に検診を受けて異常がないかを見続ける必要があるようです。
芸能人だと、物まねのコロッケさんなどが先天性真珠腫とのこと。
長男の先天性真珠腫が発覚したのは、2歳のころです。当時、溶連菌が流行していました。当時2歳の長男が中耳炎になっていたので、近所の耳鼻科に行きました。溶連菌の感染が分かると、保育園の通園ができなくなり、親が仕事を休まなければいけないのでハラハラしながら、検査結果を待つと、溶連菌ではないとのこと。ホッと一安心をして、薬をもらって帰りましたが。
それから、1~2週間程でしょうか、中耳炎が全くよくなりません。で改めて、溶連菌ではないのか?と聞いてみると、そうではないといわれます。ただ、そのあと耳鼻科から電話があり、やっぱり溶連菌だとの連絡がありました。
この耳鼻科、お爺さん先生が診察をしているのですが、言うことがコロコロ変わっていて、ちょっと信用できないとおもい、近所でも評判で(でもその分、いつも混んでいる)耳鼻科に連れて行きました。
※今思い返せば、最初からこの評判の先生にかかっておけばよかったのかも、と思います。
評判の耳鼻科の先生には、診察してすぐ「大学病院に紹介状を書くからスグに診察をしてもらってください。」と言われました。そして先天性真珠腫と思われることを伝えられました。
帰宅後にネットでいろいろ調べると、腫瘍が耳の骨や、神経を溶かし、顔面麻痺や最悪の場合死んでしまうこともあるような記事が出てきて、当時は、びっくりするやら心配になるやらでした。
紹介状を持って大学病院に行き、診察してもらうと、やはり先天性の真珠腫とのことで、精密検査をすることになりました。
手術前の検診では、MRIを取るのですが、小さな子供にはゴウゴウと音のなる機械の中に入っていくのがとても怖いようで、おとなしく受診することができずにとても苦労したようです。
何度か、取り直してようやくMRIを取ることができました。
精密検査の結果、腫瘍が耳の骨を溶かしてしまっているらしく手術が必要と判断されました。手術を担当してもらう先生のスケジュールの空きが、6ヶ月まで空いていないようで、しばらく待ってからの手術となりました。
手術当時は、長女が1歳になったばかりの頃でした。長男の入院中は、妻が長男につきっきりになること、病院の病棟には、関係者といえども子供は入れない事から、やむなく、長女を乳児院に1週間ほど預けることで対応しました。
2歳で手術、入院をする長男、1歳で親元を離れて乳児院に入院する長女。2人とも大変だったろうなと思います。
手術の当日は、とらのすけも病院に行き、一緒に手術室まで付き添いました。
当時トミカがお気に入りだった長男は、手術の待合室においてあった恐竜搬送車のトミカを気に入って手術室までもっていきました。手術室で麻酔をかけると、すぐに眠り始めました。
手術の最中は、手術は成功するのか、後遺症はないのかと、不安でいっぱいでした。
2時間ほどで手術が終わりました。幸いにも手術自体はうまくいったようで、可能な限りの腫瘍を取り除き、鼓室を再形成することができたようです。
病室に行くと、耳には包帯を巻いて痛々しい姿の長男がいました。麻酔は効いているのでしょうが、痛みがあるのか泣き叫んでいます。また、ベッドの柵が嫌なのか、おろしてティッシュ~と意味不明なことを叫び続け、腕に刺さった点滴用の注射針を取ろうとします。あまりに暴れてしまい、点滴の針が抜けてしまいそうになるので、動けないように拘束用の服を着せ、動けなくすると、程なくして再び、眠りに落ちました。
その後、1週間ほどで退院しました。入院中は暇だったようで、病院のDVDプレイヤーでトーマスをみて過ごしていたようです。
乳児院に預けていた長女は、退院後に迎えに行きました、1週間ぶりに妻の姿を見ると嬉しそうに寄ってきたとのことでした。
今、長女に乳児院のことを聞いて見ましたが、覚えていないらしく、はっきりした答えは返ってきませんでした。
1回目の手術後、後遺症等はこれと言ってみられず、プールも、かけっこも、体操も体を動かすことが好きな小学1年生の男の子に成長しました。ただ、手術をしたほうの耳の聞こえはあまりよくないようで、小学校に入学前の検診では、聴力検査に引っかかっていました。
術後は、定期的な検診(1ヶ月後、3ヶ月後、6ヶ月後と期間が延び、最後は1年の定期健診)を受けていましたが、小学校に上がった夏ごろの検診で、再手術をしたほうがいいとの診断が下りました。
やはり前回の手術では取り切れなかった腫瘍が再度増殖して、耳の中に広がっているようです。
この病気は、可能な限り腫瘍を取ったとしても、残った腫瘍があると広がってしまう、また、場所が場所だけに術後の生活を考えると、(顔面の神経や脳に近いので)切除箇所を最小限にせねばならずなかなか取り切れない。という厄介な病気のようです。
小学校が始まっていることもあり、3月の春休みに1日だけ早くお休みに入って入院をすることになりました。
今回の手術前は、「オレ死ぬのは嫌だ」と1回目の時とは違う、手術をすることへの恐怖を感じているような発言も出てきたりして、成長を感じます。
前日から入院をして、手術当日の朝にとらのすけが訪れると、とても元気な様子で、病院に来るまでに捕まえたポケモン(長男は、Pokemon Goが大好きなんです)は何?とかを聞いてきたり、手術着に着替えたあとは、手術室までスキップをしながら手術室に向かうというような様子でした。
そして、1回目と同様に、とらのすけが手術室まで付き添い、麻酔がかかるのを見届けました。
今回も、約2~3時間ほどで手術は終了しました。
幸い、今回も無事手術は終了し、後遺症も残らず、ほぼ溶けてなくなっていた耳の鐙(アブミ)骨を再形成したので、多少聴力が戻るだろうとのことでした。
手術後は、やはり暴れましたね。手術後は麻酔が切れる翌日の朝までは食事ができないのですが、お腹がすいたと暴れまわっていました。実際、許可が出たので、手術後に少し水を飲んだのですがスグに吐き戻してしまいました(麻酔で胃が動かないためらしいです)。
親としては何とか助けてあげたいのですが、なんともしようがなく、暴れて疲れて寝てくれるのを祈るばかりでした。
2日目以降は、耳を抑えている包帯の影響で顔が浮腫んできていました。包帯が、片方の目の視界をさえぎるのが不快で、包帯を取りたいと何度も何度も訴えていましたが、傷が開くので外すことはできません。なだめたり、すかしたりしながらやり過ごすしかありませんでした。
今回の入院用に、ポータブルDVDプレイヤーを購入して持ち込んでいたので、朝から晩までDVDを見て過ごしていたようです。
そして、1回目と同様に1週間ほどで退院しました。
2回目の手術から3ヶ月たち、2年生になりました。
幸いにして、退院後からすぐに通常の運動はしてよい(プールはNG)と言われたので、かけっこはお休みすることなく続けることができました。体操はOKはもらっていたのですが、衝撃は避けたほうがいいのかな?と思い1ヶ月お休みをして、5月から再開しました。
また先生から、「お風呂に入るときに、耳に水が入らないように」と言われていたので、手術後はずっと、親が手伝ってシャンプーをしていました。
元々、6ヶ月間くらいはプールはNGと言われていたのですが、今回の検診でOKをもらうことができたので、来月ぐらいからスイミングを再開しようと思います。
学校のプールの授業もそろそろ始まるので、体育をお休みをしなくてもよくなって丁度良いタイミングでした。
次の検診は、9月なのでまた進展がありましたら、記事を書きます。
来月で8歳になる長男が、先天性真珠腫 術後検査2回目(3ヶ月後検診)をしてきました。
術後の経過は良好で、プールに入り始めてもいいとの許可が下りました。
ただ、聴力は反対の耳ほどは回復しておらず、多少高音域の聞こえが良くなったかな?程度とのことです。
真珠腫とは
耳の中に、真珠のようにできる腫瘍のことのようです。先天性の場合は、胎児のころの分化の過程で耳の組織の中に皮膚片が入り込むことによって、真珠腫となるようです。
放っておくと耳の中で、どんどん成長して、聴力の低下、顔面神経や、脳にまで影響を及ぼす病気です。またその性質上、完治したかどうかの判断がとても難しいようで、定期的に検診を受けて異常がないかを見続ける必要があるようです。
芸能人だと、物まねのコロッケさんなどが先天性真珠腫とのこと。
先天性真珠腫の発覚のきっかけ
長男の先天性真珠腫が発覚したのは、2歳のころです。当時、溶連菌が流行していました。当時2歳の長男が中耳炎になっていたので、近所の耳鼻科に行きました。溶連菌の感染が分かると、保育園の通園ができなくなり、親が仕事を休まなければいけないのでハラハラしながら、検査結果を待つと、溶連菌ではないとのこと。ホッと一安心をして、薬をもらって帰りましたが。それから、1~2週間程でしょうか、中耳炎が全くよくなりません。で改めて、溶連菌ではないのか?と聞いてみると、そうではないといわれます。ただ、そのあと耳鼻科から電話があり、やっぱり溶連菌だとの連絡がありました。
この耳鼻科、お爺さん先生が診察をしているのですが、言うことがコロコロ変わっていて、ちょっと信用できないとおもい、近所でも評判で(でもその分、いつも混んでいる)耳鼻科に連れて行きました。
※今思い返せば、最初からこの評判の先生にかかっておけばよかったのかも、と思います。
評判の耳鼻科の先生には、診察してすぐ「大学病院に紹介状を書くからスグに診察をしてもらってください。」と言われました。そして先天性真珠腫と思われることを伝えられました。
帰宅後にネットでいろいろ調べると、腫瘍が耳の骨や、神経を溶かし、顔面麻痺や最悪の場合死んでしまうこともあるような記事が出てきて、当時は、びっくりするやら心配になるやらでした。
1回目の手術 2歳5ヶ月
紹介状を持って大学病院に行き、診察してもらうと、やはり先天性の真珠腫とのことで、精密検査をすることになりました。手術前の検診では、MRIを取るのですが、小さな子供にはゴウゴウと音のなる機械の中に入っていくのがとても怖いようで、おとなしく受診することができずにとても苦労したようです。
何度か、取り直してようやくMRIを取ることができました。
精密検査の結果、腫瘍が耳の骨を溶かしてしまっているらしく手術が必要と判断されました。手術を担当してもらう先生のスケジュールの空きが、6ヶ月まで空いていないようで、しばらく待ってからの手術となりました。
手術当時は、長女が1歳になったばかりの頃でした。長男の入院中は、妻が長男につきっきりになること、病院の病棟には、関係者といえども子供は入れない事から、やむなく、長女を乳児院に1週間ほど預けることで対応しました。
2歳で手術、入院をする長男、1歳で親元を離れて乳児院に入院する長女。2人とも大変だったろうなと思います。
手術の当日は、とらのすけも病院に行き、一緒に手術室まで付き添いました。
当時トミカがお気に入りだった長男は、手術の待合室においてあった恐竜搬送車のトミカを気に入って手術室までもっていきました。手術室で麻酔をかけると、すぐに眠り始めました。
手術の最中は、手術は成功するのか、後遺症はないのかと、不安でいっぱいでした。
2時間ほどで手術が終わりました。幸いにも手術自体はうまくいったようで、可能な限りの腫瘍を取り除き、鼓室を再形成することができたようです。
病室に行くと、耳には包帯を巻いて痛々しい姿の長男がいました。麻酔は効いているのでしょうが、痛みがあるのか泣き叫んでいます。また、ベッドの柵が嫌なのか、おろしてティッシュ~と意味不明なことを叫び続け、腕に刺さった点滴用の注射針を取ろうとします。あまりに暴れてしまい、点滴の針が抜けてしまいそうになるので、動けないように拘束用の服を着せ、動けなくすると、程なくして再び、眠りに落ちました。
その後、1週間ほどで退院しました。入院中は暇だったようで、病院のDVDプレイヤーでトーマスをみて過ごしていたようです。
乳児院に預けていた長女は、退院後に迎えに行きました、1週間ぶりに妻の姿を見ると嬉しそうに寄ってきたとのことでした。
今、長女に乳児院のことを聞いて見ましたが、覚えていないらしく、はっきりした答えは返ってきませんでした。
2回目の手術 7歳8ヶ月
1回目の手術後、後遺症等はこれと言ってみられず、プールも、かけっこも、体操も体を動かすことが好きな小学1年生の男の子に成長しました。ただ、手術をしたほうの耳の聞こえはあまりよくないようで、小学校に入学前の検診では、聴力検査に引っかかっていました。術後は、定期的な検診(1ヶ月後、3ヶ月後、6ヶ月後と期間が延び、最後は1年の定期健診)を受けていましたが、小学校に上がった夏ごろの検診で、再手術をしたほうがいいとの診断が下りました。
やはり前回の手術では取り切れなかった腫瘍が再度増殖して、耳の中に広がっているようです。
この病気は、可能な限り腫瘍を取ったとしても、残った腫瘍があると広がってしまう、また、場所が場所だけに術後の生活を考えると、(顔面の神経や脳に近いので)切除箇所を最小限にせねばならずなかなか取り切れない。という厄介な病気のようです。
小学校が始まっていることもあり、3月の春休みに1日だけ早くお休みに入って入院をすることになりました。
今回の手術前は、「オレ死ぬのは嫌だ」と1回目の時とは違う、手術をすることへの恐怖を感じているような発言も出てきたりして、成長を感じます。
前日から入院をして、手術当日の朝にとらのすけが訪れると、とても元気な様子で、病院に来るまでに捕まえたポケモン(長男は、Pokemon Goが大好きなんです)は何?とかを聞いてきたり、手術着に着替えたあとは、手術室までスキップをしながら手術室に向かうというような様子でした。
そして、1回目と同様に、とらのすけが手術室まで付き添い、麻酔がかかるのを見届けました。
今回も、約2~3時間ほどで手術は終了しました。
幸い、今回も無事手術は終了し、後遺症も残らず、ほぼ溶けてなくなっていた耳の鐙(アブミ)骨を再形成したので、多少聴力が戻るだろうとのことでした。
手術後は、やはり暴れましたね。手術後は麻酔が切れる翌日の朝までは食事ができないのですが、お腹がすいたと暴れまわっていました。実際、許可が出たので、手術後に少し水を飲んだのですがスグに吐き戻してしまいました(麻酔で胃が動かないためらしいです)。
親としては何とか助けてあげたいのですが、なんともしようがなく、暴れて疲れて寝てくれるのを祈るばかりでした。
2日目以降は、耳を抑えている包帯の影響で顔が浮腫んできていました。包帯が、片方の目の視界をさえぎるのが不快で、包帯を取りたいと何度も何度も訴えていましたが、傷が開くので外すことはできません。なだめたり、すかしたりしながらやり過ごすしかありませんでした。
今回の入院用に、ポータブルDVDプレイヤーを購入して持ち込んでいたので、朝から晩までDVDを見て過ごしていたようです。
そして、1回目と同様に1週間ほどで退院しました。
現在に至る
2回目の手術から3ヶ月たち、2年生になりました。幸いにして、退院後からすぐに通常の運動はしてよい(プールはNG)と言われたので、かけっこはお休みすることなく続けることができました。体操はOKはもらっていたのですが、衝撃は避けたほうがいいのかな?と思い1ヶ月お休みをして、5月から再開しました。
また先生から、「お風呂に入るときに、耳に水が入らないように」と言われていたので、手術後はずっと、親が手伝ってシャンプーをしていました。
元々、6ヶ月間くらいはプールはNGと言われていたのですが、今回の検診でOKをもらうことができたので、来月ぐらいからスイミングを再開しようと思います。
学校のプールの授業もそろそろ始まるので、体育をお休みをしなくてもよくなって丁度良いタイミングでした。
次の検診は、9月なのでまた進展がありましたら、記事を書きます。
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